森山家

住所 加治木町朝日町172
営業時間 見学時間
外観はいつでも見学可能。
内部の見学をご希望の場合は、現在平日9:00~17:00までの時間でご見学いただけます。ただし、2週間前までに姶良市教育委員会社会教育課文化財係に連絡し、予約が必要です。
※予約の状況により、日時の調整をお願いする場合があります。
なお、ご予約いただいた場合には市職員または歴史ボランティアガイドが現地で解説します。

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ご紹介

森山家は、江戸時代から明治時代にかけて鋳物(いもの)業で繁栄した加治木の豪商(ごうしょう)です。幕末には磯の集成館で大砲の鋳造にも関わり、薩摩藩の財政を支えた奄美や沖縄の黒糖製造用の鍋を製作・販売に携わりました。明治8年には西郷隆盛が日当山温泉に行く途中に「加治木の鍋屋」つまり森山家に立ち寄ったと伝わり、他にも多くの偉人たちが森山家を訪れたことでしょう。姶良市では森山家住宅の整備・公開工事を行い、森山家の歴史や明治維新に関わる展示スペースを設けました。

見所

【主屋】明治37年(1904)に建設されました。主屋は、居住空間としてだけでなく、商談や賄いのためにも使っていました。主屋の東半分(庭側)を客人用、西半分を私用と公用の空間を明確に分けており、商業を営む上で合理的な作りといえます。広く庭に面した座敷の構造は、武家屋敷を手本にした造りとなっています。縁側(えんがわ)や欄間(らんま)など、いたるところに屋久杉をふんだんに用い、造形のきめ細やかな欄間は既製品ではなく、住宅の寸法に応じた特注品を使用しています。次の間に残る釘隠(くぎかくし・横木の柱に打ち付けた釘を隠す装飾)には、森山家が鋳造したものが使用されています。【土蔵】主屋と同じ明治37年に建設されました。外壁は石壁を積み上げて改良を図っているのが特徴です。庇(ひさし)を支える「持ち送り」と呼ばれる部品は鋳物師(いもじ)の家だからこそできた優品で、再現することが困難であると評価されています。土蔵は、南蔵と北蔵の2室に分かれており、北蔵では森山家所蔵の貴重な品々や、森山家にまつわる歴史資料を展示しています。【旧作業場】建設時期は分かっていませんが、島津斉彬が嘉永4年(1851)に興した第1期集成館の建物を移転して作られたという言い伝えがあります。集成館の建物は文久3年(1863)の薩英戦争で焼けてしまい、現在磯の集成館跡には、建て直した跡の建物だけが残っています。工場の新築にともない、集成館から建物を譲り受けた可能性は高く、事実ならば世界遺産関連の建物が加治木にあるということができます。柱材は新旧の材が混ざっており、低い建物から高さのある建物へ作り変えられたと見られます。建物内では、森山家と集成館事業の関わりや加治木の商業史についての解説パネル、森山家南側の敷地で発掘調査により出土した鋳型(いがた)や鉄滓(てっさい)などを展示しています。