帖佐御屋地跡(島津義弘居館跡)

ご紹介

島津義弘は文禄4年(1595)に栗野から帖佐へ移り住みました。家老の新納旅庵が工事の監督をし、館の石垣は加治木の湯湾岳から運んだといわれています。このとき、館周辺の町割りも整備されました。文献によれば、「築地石垣九十九間」であったといわれます。慶長11年(1606)、義弘は平松へ移り、翌年には加治木へ移りますが、その後館には、義弘の娘である御屋地様(島津朝久の妻)が住みました。