白銀坂

住所 脇元3091

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ご紹介

姶良市脇元から鹿児島市牟礼ヶ岡までの石畳の坂道です。この坂のある山並みは、古代における薩摩国(旧吉田町)と大隅国(旧姶良町側)の国境でした。また、戦国時代には島津貴久や義弘などの武将たちがこの坂に陣を構えたといわれています。江戸時代に入ると、白銀坂は薩摩藩の主要街道として鹿児島城下から熊本へ抜ける薩摩街道「大口筋」上の難所として多くの人に知られていました。現在2.7キロの道のりが残っており、高低差は300メートル以上あります。中腹には「七曲り」といわれる急勾配の箇所に石畳が敷かれ、今でも昔の面影を残しています。歴史上重要な街道として歴史国道にも指定されています。石材は、寺師の黒葛野から切り出されたと言われています。